伝統

からくり人形

日本では古来より、人形は「神が憑くもの」とされており、神聖なものでした。

そして人形にからくりの技術が結びつき、今日のからくり人形として日本の伝統文化に根付いています。

皆さんは日本のからくり人形がどのようなものかご存知でしょうか。

この記事では、日本のからくり人形の歴史とその種類についてご紹介します。

からくり人形とは

からくり人形とは、糸やバネなどを駆使して操ることのできる人形のことを指します。

日本の歴史と密接に関わりながら発展し、現在では、祭り事で見ルことができます。

代表的なものには、お祭りの山車で舞う人形やお茶を運ぶ人形などがあります。

からくり人形の歴史

身分の高い人々のためのからくり人形

文献によれば、658年にはすでにからくり仕掛けの装置が作られており、人を模したからくり、つまりからくり人形は、平安時代には存在していたとされています。

人形が手にしている器に水を入れると、人形は腕をあげ、頭から水を被るというからくりの記録が残っています。

室町時代になると、貴族の日記には頻繁にからくり人形が登場するようになり、種類も次第に増えていきました。

安土桃山時代には、からくりの仕組みはより一層精巧なものになっていきましたが、からくり人形を楽しめるのは、身分の高い階層のみでした。

からくり人形の発展と普及

江戸時代になると、日本のからくり人形の文化は大きく発展することとなりました。

室町時代に伝来した機械時計や鉄砲の技術がこれまでのからくり技術に影響を与え、その技術は大きく躍進しました。

また、1662年から公演されていた竹田からくり芝居もからくり人形の発展に影響しています。

ここで披露されたからくり人形は、観客から見えないところで糸や差金を使って人形を操るもので、人が操っているとは思えない躍動的な動きから大変な人気となりました。

竹田からくり芝居は100年に亘って全国で公演を行い、沢山の一般庶民にからくり人形を広め、楽しませました。

からくり人形の派生

江戸時代に人気を博した竹田からくり芝居は、その後の日本の伝統や文化に大きな影響を与えました。

関西では、より演技の質にこだわった結果、人形浄瑠璃へと形を変えていきました。

また、関東ではより大きな仕掛けを使った歌舞伎が人気を博し、その演出に竹田からくり芝居の名残が残っています。

そして、中部地域では、竹田からくり芝居は、祭りで使われる山車に乗せるからくり人形として受け継がれました。

特に江戸時代中期、幕府財政の建て直しのために厳しい倹約令が敷かれる中、見世物は規制を免れ、とりわけ尾張藩(現在の愛知県、岐阜県、長野県の一部)は、遊興や祭りを奨励する政策をとったため、この地域には数多くのからくり人形職人が住んでいたそうです。

そのため、からくり人形が乗った豪華絢爛な山車が数多く作られました。

現在でも、200台を超える山車が保存されており、日本全国にあるからくり山車の80%以上を占めています。

からくり人形の種類

山車からくり

江戸時代に発展したからくり人形が乗った山車のことです。

主に祭りで見ることができます。

また、この山車に乗っているからくり人形は大きく2種類に分けることができます。

糸からくり

人形の内部に仕掛けた糸を使って、巧みに人形を操ります。

細かい動きができるため、能や狂言、芝居などの演目を演じるため、芝居の要素が強いと言えます。

離れからくり

体内の機械仕掛けを使って、人間の手を離れて、人形自身が動きます。

棒から棒へ飛び移ったり、杭の上を渡ったりとアクロバット要素が強いのが特徴です。

座敷からくり

室町時代には既に存在していたからくり人形の一種で、身分の高い階層の人々のための高級な玩具として発展しました。

代表的なものに「茶運人形」があります。

芝居からくり

竹田からくり芝居が始まりの、からくりを使った芝居です。

機械仕掛けのからくり人形、糸仕掛けのからくり人形、からくり道具などを使って構成されていました。

現在は、いくつかの地域でしか芝居からくりを見ることができません。

 

【参考サイト】
九代玉屋庄兵衛後援会
からくりミュージアム

 

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